多様性は奥が深い

何年も前から「多様性が大事」と方々でよく言われる。でも、本当にそれを実践するのは思ってるよりずっと難しい。誰かと価値観がぶつかったときに頭では「そういう考えもあるよね」とわかっていても心のどこかで「なんか違うな」と感じてしまう。

状況次第ではそんな感情に気づいて少し落ち込んだりもするかもしれない。

多様性を受け入れることは他人を「ただ受け入れる」だけではない。自分自身の中にある「正しさ」と向き合って答えが唯一の正解じゃないと認める行為でもある。その瞬間に足元がぐらつく。自分という輪郭がぼやけるような感覚になる人だっている。

しかし、そういった揺らぎの中にこそ、大切な問いが隠されているはずだ。

たとえば ──
「なぜ自分自身はそう感じたのか」
「どこに違和感を覚えたのか」
「その前提って、どこから来たものだろう?」

自らに問い直すことでしか、多様性に本当の意味で触れることはできない気がする。

もちろん、全部を理解する必要はない。それでも「わからないけど、知ろうとしてみる」姿勢があるかどうか。それだけで関係の中に流れる空気は随分と変わるだろう。

正しさで切り捨てたら思考は止まる。でも「問い」を持ち続ければ想像力が生まれる。

当然同じ考えの人とだけ過ごす方が楽だ。安心もできる。だけどその安心の中では視野も心の可動域も気づかない間に少しずつ小さくなっていく。ときには衝突してもいい。面倒と思われても仕方がない。それでも、違いにちゃんと心から向き合ってみる。

多様性ってきれいごとじゃない。それでも向き合う価値があるのは完璧な理解よりも「問いを持ち続ける姿勢」の方がずっと重要で深い意味を持つから。

きっと多様性は答えではなく「問い」なんだろう。どう向き合っていくのか。その答えを1人ひとりが自分自身の言葉で考え続け生きていく時代なのだ。